俺×LIFE

一言 gallery 愛

一言ギャラリー

どんな真実も、発見してしまえば誰でも簡単に理解できる。大切なのは、発見することなのだ。

イタリアの物理学者、天文学者、哲学者。

Galileo Galilei(ガリレオ・ガリレイ)
1564年-1642年

「その人間から何かを学ぶことが出来ないほど愚かな人間に、私はあったことはない。 」

「数学は神が宇宙を書くためのアルファベットだ。」
パドヴァ大学の教授となり数学を教える。

その傍ら、自ら制作した望遠鏡を用いて天体を観測し、
「木星の4つの衛星」「金星の公転と満ち欠け」「太陽の黒点」「月面の凹凸」などを発見し、
コペルニクスの地動説を証明。

このためローマの異端審問所に召喚され宗教裁判にかけられ、
地動説に関する一切の著述・講義を禁止されてしまう。
69才という年齢に達していたガリレオは地動説を唱えることを放棄させられた。
判決の際「それでも地球は動く」と言ったのは有名である。

著書:『太陽黒点論』、『星界の報告』など。

仕事 愛 人間 人生

時は友情を強めるが、恋愛を弱める。

フランス17世紀のモラリスト(人間探究家)
La Bruyere (ラ・ブリュイエール)
1645年-1696年

「人生はそれを感ずる人間にとっては悲劇であり、考える人間にとっては喜劇である。」

フランスの国立学術団体であるアカデミー・フランセーズ会員であった。
上流社会を鋭く観察し、1688年 に発表した「人さまざま」で、
人間心理や当時の世相を鮮やかに描き出した。

著書:「人さまざま」、「カラクテール」など。


男がどんな理屈を並べても、女の涙一滴にはかなわない。

フランスの哲学者・文学者・文芸評論家。
Voltaire(ヴォルテール)
1694年-1778年

フランス・ウィーン体制下の政治家で、作家としても知られる。

「勤勉は、退屈、不品行、貧窮の三悪を寄せ付けず。」

アイザック・ニュートン、ジョン・ロックなどの思想を直接知って哲学に目ざめ、
1734年に『哲学書簡』(別名『イギリス書簡』)を著した。

1778年4月7日パリでベンジャミン・フランクリンによりフランマソヌリに
入会しフリーメイソンとなる。
つねに目立ったところで行われた反ローマ・カトリック、
反権力の精力的な執筆活動や発言により、
ヴォルテールは18世紀的自由主義の一つの象徴とみなされた。

著:「哲学書簡」、「寛容論」、「ミクロメガス」など。


さんざん女に恋した男の受けるこらしめは、絶えず女に恋することだ。


Francois-Rene de Chateaubriand(フランソワ=ルネ・ド・シャトーブリアン)
1768年-1848年

フランス・ウィーン体制下の政治家で、作家としても知られる。
「人間が幸福の夢を追うときに犯す大きな過失は、
人間の生来から備わっているあの「死」という弱点を忘れてしまうことだ。」

フランス・ロマン主義の二大先駆者の1人である。
1791年、フランス革命が激しくなる頃に北アメリカを旅行し、
この経験はのちの『ナッチェス(ナチェーズ)族』、『アタラ』、 『ルネ』といった
作品のきっかけとなる。

翌1792年、ルイ16世捕縛の報を聞いて帰国し結婚したが、ドイツで亡命貴族軍に加わる。
しかし戦闘で重傷を負い、妻を残してイギリスに亡命した。

窮乏生活ではあったが、この間にミルトンの『失楽園』(のちに翻訳した)などの
イギリス文学に親しんだ。

著:「ルネ」、「アタラ ルネ」、「わが青春」など。


嫉妬のうちには愛よりも自愛のほうが多くひそんでいる。

フランスの貴族、モラリスト文学者。
Francois VI, duc de La Rochefoucauld(ラ・ロシュフコー)
1613年-1680年

「われわれはみんな、他人の不幸を平気で見ていられるほどに強い。 」

名門貴族の生まれであり、多くの戦いに参加した。
その後、『箴言集』を執筆した。

彼の主著『考察あるいは教訓的格言・箴言』は、 単に『箴言集』や『格言集』とも呼ばれる。
1659年頃から執筆を始めたと推測されており、その後いくつか写本も作成された。

また、彼の作品に見られる辛辣な人間観察には、リシュリューと対立して
2年間の謹慎処分を受けたことや、 フロンドの乱でマザランと対立したことなどで
味わった苦難が反映されているとも言われる。

著:「箴言集」、「運と気まぐれに支配される人たち」など。


情熱家より、冷淡な男のほうが簡単に女に夢中になるものだ

19世紀ロシアの代表的な小説家の一人。ロシア帝国の貴族。
Ivan Sergeyevich Turgenev(イワン・セルゲーエヴィチ・ツルゲーネフ)
1818年-1883年

「自分の全生命を女の愛というカードに賭けた男が、
このカードが殺された時、 がっくりとなって何事も手につかないほど放心してしまうようなら、
そんな人間は――男ではなく、ただのオスである。」

1818年、ロシア中部オリョールの地主貴族の家庭の次男として生まれる。
1843年、内務省に職を得るが翌年に辞す。
1843年、叙事詩『パラーシャ』を発表。
1847年から雑誌に発表された『猟人日記』(1852年)で、貧しい農奴の生活を描き、
農奴制を批判したことで逮捕・投獄される。
この作品は農奴解放に大きな役割を果たした。

理想主義的な父の世代と、唯物論的な子の世代の相克を描いた
『父と子』(1862年)は、 19世紀のロシア小説の最高傑作の一つに挙げられる。

1883年、パリ郊外で歿し、ペテルブルクでは国葬が営まれた。

著:『猟人日記』、『ムムー』、『ルージン』、『父と子』、『初恋』など。


愛のない結婚があるのなら、結婚のない愛もあるだろう

アメリカ合衆国の政治家、外交官、著述家、物理学者、気象学者。
Benjamin Franklin(ベンジャミン・フランクリン)
1657年-1790年

「今日できることを明日に延ばすな。いつかという言葉で考えては失敗する。
今という言葉を使って考えれば成功する。」

1657年ボストンのミルク・ストリートで生まれる。
フィラデルフィアにて印刷業に就き、 印刷業で成功を収めた後、
政界に進出しアメリカ独立に多大な貢献をした。

また、科学に興味を示し、独学で様々な業績を残した。
避雷針、フランクリンストーブとして知られる燃焼効率の良いストーブ、
ロッキングチェアー、遠近両用眼鏡、グラスハーモニカなどはフランクリンが発明した。

勤勉性、探究心の強さ、合理主義、社会活動への参加という18世紀における
近代的人間像を象徴する人物である。
また、アメリカ独立宣言の起草委員となり、トーマス・ジェファーソンらと共に
最初に署名した5人の政治家のうちの1人としても知られている。


愛の光なき人生は無意味である。

ドイツの詩人、歴史学者、劇作家、思想家。
Johann Christoph Friedrich von Schiller(フリードリヒ・フォン・シラー)
1759-1805年

 

「太陽が輝くかぎり、希望もまた輝く。」

ゲーテと並ぶドイツ古典主義(Weimarer Klassik)の代表者である
(初期の劇作品群はシュトゥルム・ウント・ドラング期に分類される)。

独自の哲学と美学に裏打ちされた理想主義、英雄主義、
そして自由を求める不屈の精神が、彼の作品の根底に流れるテーマである。

青年時代には肉体的自由を、晩年には精神的自由をテーマとした。
彼の求めた「自由」はドイツ国民の精神生活に大きな影響を与えた。

劇作家として有名だが、ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」の原詞で
最もよく知られるように、詩人としても有名。

彼の書く詩は非常に精緻でありかつ優美であるといわれ、「ドイツ詩の手本」として
今なおドイツの教育機関で教科書に掲載され、生徒らによって暗誦されている。

日本では、古くは「シルレル」あるいは「シルラー」とも表記された。

著「カリアス書簡」、「素朴文学と情感文学」、「人間の美的教育について」など。

平和なときは父が子によって埋葬され、
戦争のときは子が父によって埋葬される。

古代ギリシア 歴史家
Herodotus (ヘロドトス)
紀元前485年頃-紀元前420年頃

 

「人間は環境に依存し、人間に依存するものにあらず」

古代ギリシャの歴史家。
オリエント各地を旅行し、その間に得た見聞を織り込みながら
ペルシャ戦争を「歴史」に記述。「歴史の父」と称される。

ペルシア戦争後、諸国を遍歴して『歴史』(全9巻)を著した。
『歴史』の記述はギリシアはもちろんペルシア、リュディア、エジプトといった
古代オリエント世界の歴史、地理まで及ぶ。 ヘロドトスは天才的な語り手で、
その著作は「物語り的歴史」とよばれ、またしばしば、同じ事柄についての
さまざまな資料をそのまま提供しているが、
信憑(しんぴょう)性を判断できる場合は資料を選択している。

彼には民族的偏見がなく、観念よりも事実への関心が強く、神話を疑うこともあったが、
基本的には神々、神託、前兆などを受け入れ、運命と偶然に縛られる世界において、
人間はなお行動の自由をもつが、その限界を超えた傲慢(ごうまん)は
神々の警告を受け、罰せられると信じた。

彼の『歴史』への批判は、トゥキディデス以来続いており、確かに誤った叙述や
脱漏などもあるが、今日では信頼性が高いとみる見解が一般的である。

著「歴史」など。

とげのないバラはない。

イギリス 詩人・聖職者
Robert Herrick (ロバート・ヘリック)
1591-1674年

 

「摘めるうちに薔薇のつぼみを摘め。時は絶えず飛び去っていく。」

 

イギリス国教会に属する詩人を代表する人物。

 

ケンブリッジ大学に学んだ後、英国国教教会の聖職者として終生を送ったが、
詩人として後生に名を残している。 創作スタイルは短詩形を自由に駆使し、
平易かつリズミカルな詩を書く一方、命のはかなさを嘆く一面もあり哀愁を誘う詩を創作した。

 

短詩1250編からなり、自然と人生、神と人間に関するあらゆる主題をとりあげ、

女性・恋愛・花・酒・田園などを繊細な感覚で謳い上げた、詩集「ヘスペリデス」を発表。

 

名門の出でありながら、小村の一牧師で生涯を終えた。

 

著「ヘスペリデス」など。

これまでの誰よりも遠くへ、
それどころか、人間が行ける果てまで私は行きたい。


イギリス 文学者

James Cook (ジェームズ・クック)
1728-1779年

イギリス 海洋探検家・海図製作者・軍人

 

「誰かに「ダメだ」と言われたとしても、それは最初の一歩にすぎない。
習得しなければならないのは、その「ダメだ」と言うことばに打ち勝つことだ。」

 

別名キャプテン・クック。
貧しい農場労働者の家庭に生れながら、

イギリス海軍の大佐に昇りつめた人物。

 

1755年、イギリス海軍に入隊し、勃発した英仏戦争で頭角を現し、

若くして艦長に昇進する。

太平洋に3回の航海を行い、その中でヨーロッパ人として

最初にオーストラリアの東海岸に到達。ハワイ諸島を発見し、
その他クック諸島、ニューカレドニア島、ニウエ島など、数々の島を発見。

 

自筆原稿による世界周航の航海日誌を残し、ニューファンドランド島と
ニュージーランドの海図を作製した。

 

1776年、北アメリカ大陸の北に大西洋と太平洋をむすぶ航路が
あるかどうかを確認するため出航。

 

北アメリカ大陸に達してオレゴン沖で 北西航路を探したが航路は

見つからなかったため引き返し、その帰途、修理と休養の必要性から

寄港したハワイ諸島で、原住民との間に生じた戦闘で死去。

 

製作「ニューファンドランド島海図」「ニュージーランド海図」など。


君のためにたとえ世界を失うことがあろうとも
世界のために君を失いたくない。


イギリス 文学者

Samuel Johnson (サミュエル・ジョンソン)
1709-1784年

「彼の死を悲しんではならない。彼のようなすばらしい奴と出会えたことを喜ばなくてはならない。」

 

「英語辞典」(1755年)の編集、シェイクスピアの研究で知られ、
キングスカレッジ(現コロンビア大学)の初代学長兼教授を務めた人物。

 

1746年「英語辞典」刊行計画を公表。

アカデミー・フランセーズがフランス語辞典(1694年)を完成させるのに
40年かかったことから、個人で行うのは無理だと考えられたが、
1755年に「英語辞典」2巻を完成させた。

 

この業績によりオックスフォード大学より文学修士号を得た。

 

また、"Clubbable man"(クラブ向きの男)と呼ばれ、クラブでの談論風発を好み、

いくつかのクラブに加入し、居酒屋(tavern)で食事の後に文学談義を行なっていた。

 

その中で特に有名なものは、1764年にジョシュア・レノルズの呼びかけで創設された

文学クラブ(The Literary Club)である。

 

創立メンバーはレノルズ、ジョンソン、エドマンド・バーク、オリヴァー・ゴールドスミスら9人で、

後にギャリック、ギボン、アダム・スミス、ボズウェルらが加わわった。

 

著「英語辞典計画書」「英語辞典」「ラセラス」など。


知は力なり。


イギリス 哲学者

Francis Bacon (フランシス・ベーコン)
1561-1626年


「賢明な人は発見するより多くの機会を生み出す。」

 

学問の「大革新」の構想に着手し、学問の壮大な体系化を目指した人物。

 

学問の「大革新」では、『諸学の分類』、『新機関』、『宇宙の諸現象』、

『知性の梯子』、『先駆者』、『新哲学』の6部門のテーマを含んでいたが、

このうち実現されたのは第一部にあたる『学問の進歩』と第二部に相当する
『新機関』のみであった。

 

第一部『学問の進歩』では、記憶、想像、理性という精神の機能に
それぞれ史学、詩学、哲学を対応させて学問の三大分類を行い、
その各々にさらに再分類を加え、特に哲学は神、自然、人間に応じて神学、
自然哲学、人間哲学(人文学)に分類し、体系化を試みている。

 

しかし、独力で果たすことは出来ず、体系化の構想はフランス百科全書派にも引き継がれた。

 

シェイクスピアと同時代人であり、シェイクスピアはベーコンのペンネームだという説を
唱える者もいる。

 

著「ノヴム・オルガヌム 新機関」「ニュー・アトランティス」「学問の進歩」など。


男の初恋を満足させられるのは、女の最後の恋だけである。


フランス小説家

Honore de Balzac (オノレ・ド・バルザック)
1799年-1850年


「あまり打ち解け過ぎる人間は尊敬を失います。
気安い人間はばかにされます。
むやみに熱意を見せる人間はいい食いものにされます。 」

レ・ミゼラブルの作者ヴィクトル・ユーゴーの親友でもあった、
創作の天才。

バルザックの小説の特性は、社会全体を俯瞰する巨大な視点と同時に、
人間の精神の内部を精密に描くというところにある。 多作にも関わらず死に至るまで
アイデアが尽きることはなく、90篇の長編・短編からなる小説群『人間喜劇』を執筆した。

もはや伝説になっているバルザックの大食いは、 晩年の失明や、死因となった
腹膜炎を引き起こし、 借金も豪放、食事も豪胆であった。

華やかな女性遍歴を繰り広げたが、 その多くは貴族階級の年上の女性が相手であり、
正式に結婚したのは最晩年のハンスカ夫人のみである。

著作「ルイ・ランベール」「"絶対"の探求」「谷間のゆり」など。

尊貴な学位も想像力も、その両方を足したものも、
天才の誕生には至らない。
愛、愛、愛。それこそが天才の神髄なんだ。


オーストリア 作曲家

Wolfgang Amadeus Mozart (ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト)
1756-1791年


「多くのことをなす近道は、一度にひとつのことだけすること。」

最も有名なクラシック音楽の作曲家の一人であり、
ハイドン、ベートーヴェンと並ぶウィーン古典派3巨匠の一人。

父に幼少時から音楽の英才教育を与えられ、5歳で作曲。
作品はあらゆるジャンルに渡り、声楽曲と器楽曲のどちらにも
多数の作品が残されており、 作品総数は断片も含め700曲以上に及ぶ。

ウィーンでレクイエムの作曲中、35歳の若さで没した。

作品「フィガロの結婚」「ドン・ジョヴァンニ」「魔笛」など。

人が心から恋をするのはただ一度だけである。それが初恋だ。


フランス モラリスト

La Bruyere (ラ・ブリュイエール)
1645年-1696年


「ただ動機だけが人々の行為の真価を決する。 」

ラ・ブリュイエールはフランスのモラリストで、 主著には『カラクテール』がある。

また、フランスの国立学術団体である
アカデミー・フランセーズ会員であった。

代表作「人さまざま」では、当時の風俗や人物を鋭く
描写・批判したとされている人物。

著「カラクテール」など。

むずかしいのは愛する技術ではなく、愛される技術である。


フランス 小説家

Alphonse Daudet (アルフォンス・ドーデ)
1840-1897年


「私はこのような、目よりも心で見るちょっとした無言の内輪の場面だの、
歩いている傍で演ぜられる、一つの身ぶりが全生活を教えてくれるような、
街頭の無言劇に、いつもたいへん興味を覚えた。 」

ナポレオン3世の万能の大臣であったシャルル・ド・モルニー侯爵の
秘書の 一人として待遇されていた人物。

彼を世界中に有名にしたのは『若いフロモンと
兄リスレール』(1874年)という作品で、これがあっというまに世界中を
席捲した。

その作品は、英語圏にはもちろん、母国フランスにとっても
新しい文学を打ち出した。 彼の本は生きていた。
それは現実世界の幻影を映し出した。

著「風車小屋だより」「陽気なタルタラン」など。

美人なるものは、目には極楽、心には地獄、財布には煉獄である。


フランス 著述家

Bernard le Bovier de Fontenelle (ベルナール・ル・ボヴィエ・ド・フォントネル)
1657年-1757年


「幸福とは、そのまま変わらないで欲しいような、そのような状態である。」

イエズス会のコレージュで学んだ後、父の職業を継いで弁護士になるが、
裁判で1回弁護したのみで辞めてしまう。

後世をデカルト主義的な立場にたつ哲学者・科学者として過ごした人物。

あと1月で100歳の誕生日を迎えようとする1757年1月、パリで死亡。

著 「世界の複数性についての対話」

しばらく二人で黙っているといい。
その沈黙に耐えられる関係かどうか。


デンマーク 哲学者

Saren Aabye Kierkegaard (セーレン・オービエ・キェルケゴール) .
1813年-1855年


「欺かれる者は、欺かれない者よりも賢く、欺く者は、欺かない者よりもよい。 」

セーレン・オービエ・キェルケゴールはデンマークの哲学者であり、
今日では一般に実存主義の創始者、またはその先駆けと評価されている人物。

また、彼の名字であるキェルケゴール(Kierkegaard)は
デンマーク語で「教会の庭(英語:church garden)」であるとともに、
それはまた「墓地(英語:churchyard,cemetery)」をも意味する。

デンマーク人は墓地を陰気で不吉な場所とは考えていないのは事実だが、
「教会の庭」という名字になった理由は彼の「生涯」に深く関係している。

著「死に至る病」「愛の業(わざ)」など。

心の数だけ恋の種類があってもいいじゃないか。


ロシア 小説家

Lev Nikorajevich Tolstoj (レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ).1828-1910

「過去も未来も存在せず、あるのは現在という瞬間だけだ。」

ロシア文学と政治の両方に大きな影響を与えた人物。

19世紀を代表する小説家のひとりで、
「アンナ・カレーニナ」「戦争と平和」など現代でも読まれ続けている
作品を手がけている。 平和主義者としても有名である。

著「アンナ・カレーニナ」「戦争と平和」など。

頼むから黙って、ただ愛させてくれ。

イギリス 詩人

John Donne (ジョン・ダン).1572-1631

「誰のために鐘がなっているのかを見に行かせてはいけない」

イギリス詩の流れのなかに高くゆるぎない地位を築いた人物。

大胆な機知と複雑な言語を駆使し、恋愛詩、宗教詩、講話など
幅広い作品を書いた。

著「songs and sonnets」「死よ驕るなかれ」など。

愛する二人のお互いに対する理解は
単なる知識以上のものである。

なぜなら愛によって結びついたものは

他の関係のように捨て去ることも
曇らせることもできないからだ。

イギリス 小説家

Robert Louis Balfour Stevenson (ロバート・ルイス・スティーヴンソン).1850-1894

「愛する二人はほとんど無表情で、言葉はなおさら少なく向かい合い、
二人の良い所も悪い所も分かち合おうと努力し合い、互いの心を喜び捧げ持つ。」

児童文学作家として著名な人物。

『宝島』、『誘拐されて』などが代表作である。
彼の書いた異色の作品としては、『ジキル博士とハイド氏』がある。

著「宝島」「ジキル博士とハイド氏」など。

もしも人から、なぜ彼を愛したのかと問い詰められたら
「それは彼が彼であったから、私が私であったから」と
答える以外には、何とも言いようがないように思う。

フランス 哲学者

Michel Eyquem de Montaigne (ミシェル・エケム・ド・モンテーニュ).1533-1592

「心は正しい目標を欠くと、偽りの目標にはけ口を向ける。」

16世紀ルネサンス期のフランスを代表する哲学者。

現実の人間を洞察し人間の生き方を探求して、1592年に死去するまで
綴り続けた主著『エセー』の著者として有名。

17世紀のデカルトやパスカルにも多大な影響を与えた。

著「エセー(随想録)」など。

作り物の自分を愛されるより、ありのままの自分を憎まれる方がましだ。

フランス 小説家

Andre Paul Guillaume Gide (アンドレ・ポール・ギヨーム・ジッド).1869-1951

「ある年齢になると、友人を選ぶよりは、友人に選ばれる場合のほうが多い。」

1947年にノーベル文学賞を受賞した人物。

キリスト教倫理からの解放を訴えた作品は、フランス哲学・文学に
多大な影響を与えた。厳格なプロテスタントの家庭に生まれたことが影響している。

横光利一の純粋小説論は、ジッドの『贋金つくり』が影響していると言われている。

著「背徳者」「一粒の麦もし死なずば」「法王庁の抜穴」など。

恋のことなら、どんなにロマンチックでもいいんです。

アイルランド 劇作家

George Bernard Shaw (ジョージ・バーナード・ショー).1856-1950

「人が虎を殺そうとする場合には、スポーツといい、
虎が人を殺そうとするときは兇猛という。」

イギリス近代演劇を確立した人物。

40代にして、劇作家としての才能を認められた遅咲きの人物でもある。
1925年にノーベル文学賞を受賞、はじめは固辞していたが、
賞金を寄付するという条件で受賞することになった。

逸話として、あなたが一番影響を受けた本は何ですかという
質問に対して『銀行の預金通帳だよ』と答えた。

著「ピグマリオン」「聖女ジョウン」など。

恋愛とは二人で愚かになることだ。

フランス 作家

Ambroise-Paul-Toussaint-Jules Valery
(アンブロワズ=ポール=トゥサン=ジュール・ヴァレリー).1871-1945


「無能が私の根源だ」

フランス第三共和政を代表する知性と称される人物。

アルベルト・アインシュタインの相対性理論をいちはやく理解した詩人として、
日本で知られるようになった。1945年死去し、シャルル・ド・ゴールの命により、
戦後フランス第一号の国葬となった。

著「若きパルク」「海辺の墓地」など。

恋する男と女が一緒にいて、少しも退屈しないのは
いつも自分たちの事だけを話題にしているからだ。

フランス 貴族

Francois VI, duc de La Rochefoucauld (ラ・ロシュフコー).1613-1680

「われわれの美徳は、ほとんどの場合、偽装した悪徳に過ぎない。」

NO DATE

著「箴言集(しんげんしゅう)」など。

男は人生を知るのが早すぎるし、女は知るのが遅すぎる。

アイルランド 作家

Oscar Fingal O’Flaherty Wills Wilde
(オスカー・フィンガル・オフレアティ・ウィルズ・ワイルド).1854-1900


「女は男に欠点があるからこそ愛するのだ。
男に欠点が多ければ多いほど、女は何もかも許してくれる。
我々の知性さえもだ。」

ヴィクトリア朝時代イギリス文学作家の一人。

オックスフォード大学で学び、社会思想家のジョン・ラスキンや批評家で小説家の
ウォルター・ペイターらの影響を受ける。

男性同士間における性行為の罪で逮捕され、過酷な刑務所暮らしが続いたため、
晩年は創作意欲を喪失し、特筆すべき作品をうみだせなかった。

著「ドリアン・グレイの肖像」「真面目の美徳」「サロメ」など。

三つのマッチを一つ一つ擦る夜のなか
はじめは君の顔を一度きり見るため
つぎのは君の目を見るため
最後のは君の唇を見るため
残りの暗闇は今の全てを思い出すため 君を抱きしめながら

フランス 詩人

Jacques Pr´evert (ジャック・プレヴェール).1900-1977

NO DATE

著「やぶにらみの暴君」など

二十代の恋は幻想である。
三十代の恋は浮気である。
人は四十代に達して、初めて真のプラトニックな恋愛を知る。

ドイツ 劇作家・小説家・科学者・哲学者・政治家

Johann Wolfgang von Goethe (ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ).1749-1832

ヴァイマル古典主義を代表する作家の一人。
特に文学において優れた才能を発揮した人物。

『若きウェルテルの悩み』で一躍名声を博し、詩・小説・戯曲などに多岐に渡り 名作を生んだ。
その傍ら、科学者として人体解剖学・化学・地質学・植物学・光学について研究し、
著作している。また、シューベルト『魔王』・モーツァルト『すみれ』などの音楽の詩も手掛けている。

著「魔王」「若きウェルテルの悩み」など。

愛する..それはお互いに見つめ合うことではなく
一緒に同じ方向を見つめることである。

フランス 作家・飛行機乗り

Antoine de Saint-Exupery (アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ).1900-1944

パイロット(郵便輸送)として、欧州-南米間の飛行航路開拓などにも携わった。

飛行機乗りでもあり作家でもある異色の人物。
兵役(志願)で飛行連隊に所属。尋常ではない経歴で軍用機操縦士(士官)となる。

退役して自動車販売員などに就業した後、民間航空界に入り、
26歳で作家として本格的にデビューした。

デビュー作である男女間の恋愛を描いた唯一の作品、『南方郵便機』は、
構成技法その他の理由から、あまり高く評価されていない。

しかし、彼の代表作である『夜間飛行』『人間の土地』はベストセラーであり、
アニメーション作家の宮崎駿がカバー画を描いていることでも有名である
(日本で出版されているもの)。

著「星の王子さま」「人間の土地」など。

愛する女と一緒に日を送るよりは
愛する女のために死ぬ方がたやすい。

イギリス 詩人

George Gordon Byron (ジョージ・ゴードン・バイロン).1788-1824

「女は美しくて、甘ったるい嘘つきだ。男は、すぐに彼女を信じてしまうだろう。」

NO DATE

著「異端者」「ダンテの予言」など。

僕はおまえが好きだった。そして今でも好きなんだ。
たとえ世界が木っ端微塵になったとしても、
その残骸の破片から恋の想いは炎となって燃え上がる。

ドイツ 詩人

Heinrich Heine (ハインリッヒ・ハイネ).1797-1856

「恋に狂うとは、ことばが重複している。恋とはすでに狂気なのだ。」

文学思潮の流れの中ではロマン主義に属し、同時に進化させた人物。

ドイツの作家・詩人の中で最も多国語に翻訳された人ともいわれている。
日常的な言葉で文学を語り、文芸記事を新聞・雑誌に寄稿、紀行も残している。

著「歌の本」「タンホイザー伝説」など。

手の上なら尊敬のキス。額の上なら友情のキス。
頬の上なら厚情のキス。唇の上なら愛情のキス。
閉じた目の上なら憧憬のキス。掌の上なら懇願のキス。
腕と首なら欲望のキス。 さてそのほかは、みな狂気の沙汰。

オーストリア 劇作家

Franz Grillparzer (フランツ・グリルパルツァー).1791-1872

「自分の限界を知る者こそ自由な者である。
自分を自由だと妄想する者は、その妄想の奴隷である。」

NO DATE

著「サッフォー」「金羊毛皮」「海の波恋の波」「哀れな音楽師」など。

男が本当に好きなものは二つ... "危険"と"遊び"である。
そしてまた、男は女を愛する
それはもっとも"危険な遊び"であるからである。

ドイツ 哲学者

Friedrich Wilhelm Nietzsche(フリードリヒ・ウィルヘルム・ニーチェ).1844-1900

「私の思想は、100年後に理解されるであろう。」

生の哲学、実存主義の先駆者。

ギリシア古典学、東洋思想に深い関心を示し、機械時代・大衆支配時代に対する
批判と克服を図り、 善悪を超越した永遠回帰のニヒリズムに至った。

そして、その具現者として超人の出現を求めた。
随所にアフォリズムを用いた散文的表現による哲学の試みには、
文学的価値も認められている。

著「ツァラトゥストラはかく語りき」「善悪の彼岸」「道徳の系譜学」「権力への意志」など。